『紫色の皿』
居酒屋には、見覚えのある顔が十人くらい集まっていた。
中学の頃の同級生たちだった。
卒業してからまともに会っていない奴もいたし、たまに名前だけ聞く奴もいた。
そんな中に鮫ちゃんもいた。
鮫ちゃんは中学の頃、サッカー部だった。
足が速くて、よく日に焼けていて、休み時間になるといつも教室でふざけていた。
大人になった鮫ちゃんは昔より少し太っていた。
でも笑い方は変わっていなかった。
酒を飲みながら、昔の先生の話をしたり、誰が結婚したとか、誰が地元を出たとか、そんなことを話した。
ずいぶん長いこと会っていなかったのに、不思議と話すことはあった。
途中、鮫ちゃんが別の男に、
「悪いんだけど、金貸してくれない?」
と言っているのが聞こえた。
「いくら?」
「十万」
「無理無理」
男は笑って断った。
鮫ちゃんも笑っていた。
だから僕も、たいして気にしなかった。
夜中の一時を過ぎた頃から、一人、また一人と帰っていった。
気づけば店内もだいぶ静かになっていた。
鮫ちゃんはテーブルに突っ伏して寝ていた。
「鮫ちゃん、起きろよ」
肩を揺すると、鮫ちゃんはゆっくり顔を上げた。
「今、何時?」
眠そうな顔だった。
僕はふざけて言った。
「五時」
鮫ちゃんの目が一気に開いた。
「え?」
「朝の五時」
「なんで起こしてくれなかったんだよ!」
突然、怒鳴った。
「いや、嘘だよ。一時過ぎ」
けれど、鮫ちゃんは聞いていなかった。
椅子を蹴るように立ち上がると、そのまま店を飛び出した。
「鮫ちゃん!」
僕も慌てて追いかけた。
速かった。
さすが元サッカー部だった。
僕は数十メートルで置いていかれた。
角を二つ曲がったところで、完全に姿を見失った。
夜中の街を一人で歩く。
シャッターの閉まった店。
黄色い街灯。
遠くでタクシーが走っていく。
どこへ行ったんだ。
そう思っていると、少し先から怒鳴り声が聞こえた。
「ふざけんなよ!」
鮫ちゃんの声だった。
走っていくと、中年の男と鮫ちゃんが向かい合っていた。
どうやら、走っていた鮫ちゃんが男にぶつかったらしい。
「謝れって言ってんだろ!」
「謝っただろ!」
僕は二人の間に入った。
「まあまあ、すみません。こいつ酔ってるんで」
しばらく頭を下げていると、中年の男は舌打ちをして去っていった。
鮫ちゃんはまだ息を切らしていた。
「大丈夫?」
僕が聞くと、鮫ちゃんは僕の腕をつかんだ。
「金」
「え?」
「十万貸してくれない?」
さっき居酒屋で聞いた話を思い出した。
「何に使うの?」
「頼むよ」
「いや、だから何に」
「頼むって。本当に。あとで絶対返すから」
鮫ちゃんは何度も頭を下げた。
あまりにも必死だった。
僕は少し迷った。
それから近くのATMで十万円を下ろした。
鮫ちゃんに渡すと、彼は札を数えることもせず、そのままポケットに入れた。
「ありがとう」
そしてまた走り出した。
「ちょっと待てって」
今度は僕も必死についていく。
鮫ちゃんが向かったのは、駅前のデパートだった。
当然、営業時間は終わっている。
正面入口も閉まっていた。
けれど鮫ちゃんは建物の横へ回った。
そこには地下へ続く階段があった。
「ここ、夜中もやってるんだよ」
鮫ちゃんが言った。
そんな店があるなんて知らなかった。
階段を降りる。
地下には小さな店が一軒だけ明かりをつけていた。
何を売っている店なのか、よく分からない。
店先のガラスケースに食器が並んでいた。
皿。
カップ。
花瓶。
どれも少し変わった形をしている。
鮫ちゃんが突然立ち止まった。
「これだ!」
指差した先に、一枚の皿があった。
紫色の皿だった。
丸くも四角くもない。
縁が歪んでいて、何かが溶けかけたような形をしていた。
値札を見る。
十万円。
僕はもう一度皿を見た。
こんなものが十万円もするのか。
鮫ちゃんは迷わなかった。
店員を呼んで、さっき僕が渡した金をそのまま差し出した。
皿は白い箱に入れられた。
店を出ると、鮫ちゃんはその箱を両手で大事そうに抱えていた。
デパートの階段を上る。
「ありがとう」
鮫ちゃんが言った。
「本当にありがとう」
「助かったよ」
鮫ちゃんは感謝の言葉を何度か繰り返した。
「別にいいけど」
その食器の何がそんなに大事なのか聞きたいと思った。
でも、聞かなかった。
地上へ出る。
街はまだ真夜中だった。
鮫ちゃんは箱を抱えたまま、しばらく空を見ていた。
僕も隣で立っていた。
酔いはもう、だいぶ醒めていた。
紫色の皿が十万円もする理由や、鮫ちゃんがそこまで急いでいた理由は結局、何ひとつ分からなかった。
ただ、鮫ちゃんがあの皿を手に入れた瞬間は、何かが間に合ったような顔をしていた。
これにて起床。



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